昭和52年09月12日 朝の御理解
御理解 第25節
「信心は大きな信心がよい、迷い信心ではいかぬ、一心と定めい。」
世界総氏子身上安全、世界真の平和達成の御神願がどうぞ御成就に相成ります様に。そのためにはどうぞ、天が下いうならこの地球上の様々な事柄が、いわば悲しいこと苦しいこと、または所によっては人間が人間同志を、いわゆる殺し合いをしておる様な戦争ですね。悲惨な状態もこの地球上の上に起きております。その全てがやはり天地金乃神様の御神願が御成就のことのために、世界の総氏子が真の助かりを頂くことのための、いや人間氏子がいよいよ和賀心になることのために。
丸うせずにはおかんという働きであると私は確信致します。ですからまず世界総氏子身上安全、世界真の平和達成というお願いをさせて頂くからには、まずはその前に一切が神愛、一切が天地金乃神様の悲願達成のための御働きであるということを、世界総氏子にどうぞ分からせて下さい、知らせて下さい。そのためには、ただ今合楽で申しております合楽理念、子供でも分かる様に、ただ字が読めさえすれば読めれる様に、まあいうなれば昔、絵本がございました。
大きく絵を描いて、そしてその絵の興味につられて、下が面白うおかしう読めれるという、という程しに合楽理念は見易いものでございます。そういう物でいわゆる簡単であるとか、明瞭であるとかまた見易いと言う事が決して軽い、またはつまらないと言う事ではない。これが人間が真実助かることのための、もう根本理念であると言う事をです。いわゆる昨日からいう合楽理念が、どの様に普遍性に富んでおるか、どういう程度のどういう国の人にでも、どういう主義の人にでも。
これを本気で皆さんが読もう、又は聞こうという気になったら、誰でも分かってなるほどそうだなあ、合楽で言われておるところの合楽理念以外の宗教、宗派、それは合楽理念の、いうならば枝葉にしか過ぎない。他宗を極めようとすれば必ず迷宮入りをする。それは余りにも難しいからだ。または余りにも粗雑なのだからね。合楽理念は大天地と通じて、万事を抱擁する程しの内容を持っておるものだと、昨日の御理解ですね。という風に私が皆さんに聞いて頂きますとね。
もう親先生は大きな事ばっかり言うという風に聞く人と、本当にそうだそうだと合点して聞いて下さる人。だから大きな信心とは大きな事ばかりを言うだけではないけれども、その大きな事が真実言えれる信心にならなければいけないと言う事なのです。だからそれを聞き様によると、まあほら吹きと言う事になるかも知れません。けれどもねそれが真実、合楽理念は助かりの理念だと。しかもどこへでも入って行ける持って行けれる。
実にいうならば今までかって何千年の人間が、宗教という宗教をして来たけれども、その宗教のどの宗教よりも一番優れた宗教であり理念である。それは宗教というものが、人が助かる事の為にあるのならばでございます。私はそう信じます宗教というのは、天地の親神様が示して下さった事。それはどう示されておるかというと、人間が本当の事が分かり本当のおかげを頂き、本当の人間の幸福を頂いてその幸福がそのまま、魂の世界にまでも持って行けれる程しの内容を持っておるものだからと言う事でございます。
だから只内容のない、大きなことでは大ぼら吹きかも知れませんけれども、けれどもやはり私が色眼鏡で見る人達は、そりゃ大ぼらばかり吹くと言うかも知れませんね。それでいてなら私の、いうならば神経というものは、それこそなそうと思えば子供でもなせる様な事を、疎かにしてきておった、いやこれこそが実意丁寧神信心とはこう言う様な事だと言うて、思うて例えばお風呂に入ってのマナーです。
お手洗いに行ってからの、いうならば心掛けといった様なものにまで心を使わせて頂いて、いうならば大きな事ではあるけれども、そのまた芯の所には、それこそ蟻の這い出す間もない程しの小さい、いうならば信心を身を持って修行させて頂いておる。だから大きな信心とは、そういう小さい神経が使えれる程しの内容があって、初めて大きな信心。ただそういう信心がなくて、大きな事ばっかり言うておるのであったら、これは大ぼら吹きと言う事になりましょう。
そういう水も漏らさん程しの、いわばという願いを持って実意丁寧神信心をさせて頂いてです。そしてなら合楽で頂いておるおかげの事実というものがです。こういう素晴らしい、水も漏らさぬおかげが頂けれる信心。合楽理念をもってする外はない。商売は合楽理念をもってする外はない。百姓は合楽理念をもってする外はない。士農工商すべての事の上においてです。士農工商というのは、人間のすべての職業という意味がありましょうね。そのすべてがです。
この理念をもって貫き、理念をもって生活させて頂くならば、人間の幸福はもう約束されたも同じ事だと、それを実際に現しておるのが、私達であり、また合楽の篤信の方達であり、またはビリグイ教会なんかは、その一つの実証をしておる様なものでございます。
どうぞ一つ合楽理念をです。只合楽の大きなことばっかり言うと、皆から言われるのでなくて、なるほどあれが本当だったと言われる様に、皆さんがまずはおかげを頂いて下さるということね。そして、それを皆が神習うことのおかげになって行くと言う事。その信心が、いうなら中に入って広めて行く働きになって行くという願いを持たなければなりませんね。そこでです。合楽理念とはその様に、いうなら簡単明瞭に説いてある。それも本気になれば本当に楽しいことだ。
合楽理念は、いうならば見易い見易いと言うが、実際取り組んでみると難しい。いや難しいごたるけれど、実際それを取り組んでみると実に見易い。この様に楽しい、しかも有難い、しかも愉快にまでなって行けれる程しの内容なんですね。難しいごとあって見易いということになります。または見易いごとあって難しいとも言えましょう。だから、見易いごとあって難しい。そりゃ取り組んでみると難しい。けれどもそれを頂きこなしてみると、こんなに見易い事はない。
火の行せろ、水の行せろ、断食せろといった様なことでは、さらさらないと言う事ね。日常生活の上に起きて来るすべての事柄の中に御の字をつけて、御事柄として受けて行き、成行きそのものを神様が私に求め給うところの働きであり、修行であると思うて、合掌して受けて行く。有難く尊んで行く。ところが、なかなか力がございませんので、いろんな事が起こって参りますと、それを受け切らん様なことがあってはなりませんから、どうぞ成行き私が受けれれる、私で頂けれる程度のことで。
まあその成行きを本当の繰合わせをして頂きます様にという願いもまた有難い。そう言う事がまた出来る神様なんです。だから難しいと思わずに、それにやはり徹する事です。徹してみて初めて見易いもんだと言う事が分かります。合楽理念なら合楽理念の、まあ御本がこの頃特集号が出ました。だからあれを読んだだけでおかげを頂けるなら、こげん簡単な事はなか、と思うごとあるけれども、それを繰り返し繰り返し読んでみると、それこそ何千巻の経典を読破した人が、もう本当にこれに尽きるなと分かるんです。
いうならばです、もうそれこそ一生懸命で血みどろになって、神学なら神学の研究をした人がです。その神学の難しさ、助かり様のない、いわば迷宮入りをしておった人がです。一度合楽理念をひもといたら、私が求め願っておったのは、これだったと取り付いて来ているのです。今ビリグイで修行しておる、その若い青年の方がそうです。何千巻あるか分からない程しの素晴らしい、例えば経典なら経典の研究をした人がです。
もし本当に自分が仏教により助かりたいという一念を起こしてです。そして読破したけれども助かり様がないと、いうならば迷宮入りをしておる人がある。とするならばです。もし合楽理念を読ませるならば、分からせたならば、ああこれだけの何十年かかりでこれだけの勉強したけれども、実はこの事を分かりたい為だったんだということが分かる程しのものが合楽理念なんです。
昨日は、私よく知りませんでしたが、昨日岩部先生から詳しく聞いてから改めて分かったんですけども、先月あちらのお父さんが息子をこちらに預けておるし、親教会との義理もあることだから、大体は反対だった。反対を押し切って、お前がそんなに言うならばと言うて、まあこちらへ修行に来たわけです。けれども、来たものの一遍ぐらいは御挨拶に出らにゃというので、先月見えたのが初めてでした。
そして一晩泊まって、お話を頂いていく内にです、こりゃなるほど息子が合楽に傾倒するはずだというものが分かったんです。それで私もどうでも合楽の信心を頂いて、あちらで広めたいと思う。ためには来月から月参りをさせて頂きたいと思うと言うて、お届けをして帰られました。そして一昨日、月次祭の日にある人をお導きというより、どうでも私を連れて行ってくれと言う人を同道で来とられます。その人は、本人は知らなかったけれども、医者が胃癌でもう見放しておるという人でした。
この人はもう長い間、生長の家を熱心に信心をした人でした。それこそ金光様の信心なんか、まあいうなら他愛ない、もう本当に素朴だといえば素朴だろうけれども、あんな不完備な不完全な宗教はないごと言うておられた人です。そしていわゆる谷口さんが書かれたところの、もうどれだけあるか分からんという本を、やはり読破したわけなんです。ところが自分自身すらが、助かることが出来ないことが分かったところへ、合楽理念の本を見た。もうそれこそびっくりしたと言います。
昨日ここでもう本当に涙を流さんばかりに真剣に、あの私は本当に沢山の本を読んで参りまして、また事実助かる人もあるけど、私は助かれなかった。ところがあれを読みだしてから一月半、もう合楽理念を繰り返し繰り返し読みました。同時にこちらから出とります本を買っては一生懸命読ませて頂きました。そして私が長い間、求め続けておったものはこれだったと分からせて頂きました。おかげでそれから体の上にどんどんおかげを頂き出した。自分の知らんままに胃癌が治ってしもうた。
まあだ自分は胃癌と言う事は知らん。というのはこれは昨日岩部先生から駅まで送って行って帰ってからのこれは話なんです。合楽理念とはその様に素晴らしい。もうどんなに、いうならばこれは勿論人が助かることのための宗教ならばですよ。もうそれこそどんなに沢山の、なら年限をかけて信心しておってもです、読んでおってもです。またはその経典の経文なら経文、神学なら神学を極めておってもです。
結局は教祖金光大神が言われた「おかげは和賀心にあり」という天地書附に絞られてしまうのです。その天地書附に絞らせて頂いたその内容が、どう言う事になるかというと、いうなら合楽理念です。いうならば「天地日月の心になること肝要」なんです。いうならば、それがいよいよ成行きを大事にする、すべての事に御の字を付けて、一切を黙って治めるこれなんです。
ですから皆さんが本当に難しいと言わずに、それが見易うなるところまで、ちょっと読めば、もう皆さん何遍でも読まれたでしょう。だから見易いでしょう。けれどもそれが行の上に表すと言う事になると、やっぱりちっとは難しか。そしてまた分からん所が出てくる。けれどもお伺いをさせて頂いて、そこを通らせて頂いて、それが自分のものになったら、こんなに有難うして楽しうしてと言う事になってくるのです。
昨日日田の井出さんがここでお届けをされました。先生本当に合楽理念を一生懸命行じさせて頂きよると、行じさせて貰わにゃ分からん、行き詰まらん。実は子供の事ですけれども、どうも子供がちょっとどうかあるというたら、すぐ学校を休むと言う。どうか言うては、勉強せん、したきなくてたまらん態度をとります。今まではもうつかまえてからでん勉強せにゃともう無理言うてでも、学校に追いやりよったですけれども、合楽理念では、神様どういう風に頂いたら良いでしょうかと言うわけなんです。
だからね確かに目に余る様なことがある。また子供がです。勉強せんしっかり学校へ行かにゃ勉強せんなら、親としてサッサと勉強する様にやっぱり言わにゃおられんのだけれども、言うたら、黙って治めることになりませんからね。そこであんなの感情が全然ない時に、どうでも良いという気持ちで言いなさい、と私が申しました。いうならば昔から俗に言う事の中に、「言いたい事は明日言え」と。もう大概の事が明日になると、言わんで済む様なことを、かんかんになって言おうとしておるのです。
これは俗にでさえそう言うのですから、だからましてや信心、合楽理念に基づいて、黙って治めるという、そういう合楽理念の、いうならば芯になる程しのことなのですから。それをなら、けれども今の井出さんではないですけれども、こういう時にはそこであんたの感情のない時に言いなさい。そして明くる日になっても言わんですむ時には、それでなおさら良い。只神様にお縋りしていくことだけなんだよと。もう本当に合楽理念ちゃ有難い。そのことを頂いてですね。
なるほどそういう自分に感情があって言うたのでは、絶対相手を責めることになったり、なんか皮肉になったり、相手を叩く様な事になったり必ずする。感情があるからね。だから感情がない時に言いなさい。言わんで済むごとなったら、なおさら有難い。そしてそれを神様へ向けなさい。私の方の子供を見てごらんなさい。例えば四人の息子がです。最後の栄四郎が高校を卒業いたしました時に、お礼のお届けをさして頂きましたら、神様がね、士、農、工、商が足ろうたと言うて喜んで下さったです。
あら本当に頂いてみると初めて分かった。それが皆、私の方には、目的の高校に入学出来なかったから。只自分の目的を貫いて入れたのは幹三郎だけです。あの人はもう初めから工業高校と言ってました。外は皆まだ目的の学校だったけれども、それが全部出来そこのうて、仕方がないから、皆普通高校へ行った。それから農業高校へ行った。それから三番目が工業高校へ行った。一番下の栄四郎も大体は日田の、いわば私立の商業学校なんかは、もういやと言いよったばってん、結局そこだけしか通らなかった。
これがどうでしょうか。私がもしいわゆる教育ママ的にです、教師を雇い込んでから勉強させて、そしてそれが一番最後の栄四郎がです。普通高校へ入っとったとしてみなさい。もう天地の親神様の御計画がその一事で、全部くずれてしまうのです。そんなに大変なことなんです。成行きを大切にするということはね。だからひっつかまえといて勉強。だから自分がせずにはおれないという、子供の勉強が発心が出来る。一心発起子供がする様な願いは持たなければならない。
この頃私の孫がピアノ教室ですか、友達が行きよんなさるけんで自分も行くとこう言う。まあ今オルガンの稽古をしよります。そげなことさせちゃでけんというのじゃない。本人が行くと言うならやって良いです。それかと言うて、それこそこの人は声が良かけん、いっちょ歌手にしようと思うて、歌を教えにやったり、ピアノを教えにやったり、無理やりに親が連れて行ってする様な人がある。ああいうのはまあいうなら教育ママ的でしょうけれども、これは人間の本当に素晴らしい運命を壊してしまうです。
もう合楽理念はそう言う所が実に細かに、もう実に丁寧に説いてあります。でしょうが皆さんお読みになってから。いかにね合楽理念が素晴らしいか。なら息子の四人が士農工商足ろうたと言うて、神様がお喜び。だから私自身としてもです。足りない所ばかりでございますけれども、神様が言うて下さる様に、士農工商が私の方には揃っとりますから、その士農工商をどうぞその面ではその面で、その角度にはその角度の所に、子供達は十分に私に代わって、お使い回しを頂きます様にという願うだけなんです。
なら四人の子供達が器量が良いか、信心が熱心に出来るかと言う事でもないけれども、もう神様にそれだけ委ねてあるのですから、安心です。だから私自身がおかげを頂いて実証しとるから、なら井出さんなら井手さんにでも、そういうお取次ぎが出来たんです。だからそれが出来なかったら、もう合楽理念を頂いとると言う事は言えないです。これはどうでもこうでも、一つ皆さんが合楽理念のね、いわば本当に行者になって頂いて、いうならこの黙って治めるということなんか、これは素晴らしいことなんです。
またそして黙って治めない事になったら、もう大変なそこから、いうならば崩れてしまう。おかげが崩れてしまう程しの働きになって来るのです。それをお互いが知りません。なぜ黙って治めるかというとね、神様を信ずるから黙っておれるのです。だから神様は信ずる者をまた信じて下さる、という様な働きにまでなってくるのですね。和賀心時代を世界に、合楽理念はもうあらゆる宗教の真になるものであって、外の宗教のすべては、その枝葉にしかすぎないという風に。
そこだけを聞くならば、本当に合楽の大坪は大きな事ばかり言うと言う人もありましょうけれども、ここで信心の稽古をしておる人達は、成程親先生の言いなさる通りだと言う事が、まず分かって頂きたい。そして自分もそれを頂いて行こうとする精進をして頂きたい。難しいけれども見易い。見易いごたるけれども難しい。それをどうでもそこを繰返しながらです。分からん所は御神意を頂きながら、合楽理念を愈々マスターさせて頂く。そういう信心が、私は今日は愈々大きな信心だと思うのです。
「迷い信心ではいかん、一心と定めい」と仰るが、もうこうと決めたらその事一心に貫くという様な行き方でです。合楽理念をマスターし又は行じて頂きたいと思うです。本当に合楽理念を岩部先生のお父さんのお友達なんですけれども、が言っておられる様にね。本当にあれだけ沢山の生長の家を読んでです。大変詳しくなって分かっておったけれども、なら本当に分かりたいのはここだったという程しのものが合楽理念なんです。
ですからそれを愈々皆さんが皆さんのものにされなければ、私がまた末永先生一人じゃいかんわけです。うちの信者は、皆こういうおかげを頂いとります、と言う事ならなければ、それこそ世界の市場にひっさげて行けんのです。世界の市場に出せないです。あらゆる主義の人共産主義の人でも、社会主義の人でもどんなに学問をした人でも、いうなら無学の人でも、毛色の違った黄であろうが白であろうが黒であろうが、合楽理念はどこの隅々までも入って行ける浸透性がある、普遍性を持っておる。
しかも漫画を読む様に面白う読めれる程しの説き方がしてあるのが、合楽理念。だから大衆にアピールすると私は確信するのです。それには事実がここに実証されて行かなければならぬ。私とか末永先生、そりゃあなた方は特別と言うたら、それまでじゃから。なら信者の一人一人が、そういうおかげを頂いて初めてです。なら世界の市場に出せるということになるのじゃないでしょうか。今日は大きな信心と言う事を合楽理念の内容から聞いて頂いたわけですね。
どうぞ。